山ある記
ボチボチと山に登って、ボチボチとRUNを楽しんでます!
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<01. THE 街道ウォーク!「東海道57次」京街道の旅その1 大津宿~伏見宿>
今回の工程大津宿53番~伏見宿54番 (大津市京町1丁目(札の辻)~伏見区大手筋)


12年5月30日(水)最高気温(京都) 23.2度(最低 13.1度) 曇り時々晴れ

<コースタイム>
 大津市京町1丁目(札の辻) 09:37 → 大津宿本陣跡 09:45 → 逢坂の関 10:22→ 追分府道35分岐 11:05
 → 髭茶屋追分道標 11:11 → 国道1号山科大塚 11:51 → 岩屋神社前 12:12(ランチ~12:49) 
→ 勧修寺下ノ茶屋町 13:34→ 大岩街道深草ゴルフ前 13:57 → 藤森神社 14:50 → 伏見大手筋 15:50


*旅のメンバー : I氏(小)と2人です!

皆さーん!こんにちは(笑)  只今より、第1回「THE 街道ウォーク」を始めます!
ついに、新しい企画がスタートです!ご声援よろしくお願いいたします!

さて、今回の企画は東海道五十三次の後に作られた「東海道五十七次」(京街道)の旅を計画しました!
工程は大津宿のあった大津市京町1丁目(札の辻)をスタートして四つの宿場の伏見・淀・枚方・守口を経由して
総距離約60km 大阪市の高麗橋までの旧東海道を旅します!
第1回目の今回は大津宿から伏見大手筋までの約20km!
3回で完歩の予定です!
歴史的なお話しですが、皆さんご存じの旧東海道は五街道の一つとして、1601年(慶長六年)に徳川幕府により
江戸から京都までの五十三の宿駅・伝馬制度(東海道五十三次)が作られました。
その後、大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉は、1615年(慶長二十年)に大阪城が落城すると東海道を大阪まで
延長し、伏見、淀、枚方、守口の4つの宿場を作り、大津宿から大阪(高麗橋)の東海道五十七次が完成したとのことです!
その五十四から五十七次の間の街道を、豊臣ゆかりの関西では「京街道」あるいは「大阪街道」と呼んで、
東海道よりも身近に名前が残っていることらしいです!

どんな旅になるのか、スタートです!

【0917】・今回の旅のお供のI氏(小)!出発地点の大津市京町1丁目(札の辻)へ向かうために、
JR大津駅に到着!今日はなんか、カジュアルな感じで・・・!

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【0937】・ここが大津市京町1丁目の札の辻で本日のスタート地点!
JR大津駅から北北西へ約600mほど歩いたところにある。
ここ札の辻は交差点の東から滋賀県庁の前を通ってくる旧東海道五十三次と合流ところであり、
また北国海道(西近江路)との分岐点でもあるようです!

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【0943】・161号を南方向の逢坂の関方面へ進んでいった!

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【0945】・労働基準局前に大津宿本陣跡の案内板を発見!

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・ここには石碑が二つ!「八町通」地名由来碑(写真左)と「明治天皇聖跡碑」があった。

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【0951】・トヨタディーラーを過ぎ、JRの高架橋を進む、I氏(小)!









【0953】・大津本陣跡から500mほどで、関蝉丸神社(下社)があった!
琵琶の名手蝉丸をまつる蝉丸神社は、旧東海道沿いに三ケ所あります。
地元大津では下社、中社、上社と呼んでいるようだが、一般には、蝉丸神社といえば
ここ下社の関蝉丸神社のことをいうらしいです!

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【1003】・京阪電車の踏切を渡り、161号と1号線の合流地点に向かった!

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・踏切を渡ってすぐに、安養寺がありに、「逢坂」のしっかりした石碑があった!内容は・・・

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【1014】・1号線に合流して「逢坂の関」を目指した!途中で、高台に
二つ目の”蝉丸神社”を発見!

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【1022】・頑張って逢坂山を登って間もなく関所かな!

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・逢坂の関に着きました!ここからルートは大谷町の「うなぎのかねよさん」の方へ寄り道です!

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【逢坂の関】
東海道と東山道(後の中山道)の2本が、逢坂関を越えるため、交通の要となる重要な関であった逢坂の関。
その重要性は、平安時代中期以後(810年?)には、「三関」の一つとなった事からも理解出来ます。
残り二関は、美濃の不破関、伊勢の鈴鹿関である。平安前期までは、逢坂関ではなく、越前の愛発関が、
三関の一つであったようです。この石碑は、昭和7[1932]年の建立だそうだ。逢坂関が実際にあった場所は、
少し違うようで、幾つかの説があるそうです。

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【1041】・本館の向かいにあるレストラン部前でI氏(小)がなかなか離れない!
この匂いは反則ですね!しかしまだ準備中で今回は断念!

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・【 蝉丸(神社)】
「これやこの 行くも帰るも  別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
百人一首に登場する蝉丸法師の歌です。「今昔物語」では雑用をつとめた無 位の役人(雑色)と紹介され、
「平家物語」「源平盛衰記」では醍醐天皇の第 四皇子とされているということで、謎の多い人物らしい。
不思議な感じだ!
「逢坂の関」は古代から京の都と中部・東国を繋ぐ街道に置かれた関所で、清少納言曰く
「関と言ったら、逢坂の関の事!」だそうである。
 逢坂が「逢う」と言う字を使うことから、平安時代は多くの歌人に歌われ、
「これやこの行くも帰るも別れつつ、知るも知らぬも逢坂の関」と歌ったのは、盲目の歌人蝉丸である。
 この蝉丸はTVドラマまでなった「陰陽師」(夢枕 獏 原作)にも関係があるらしい。
安部晴明とともに行動する源博雅。この博雅が名曲を習う為に、逢坂の関に遁世していた蝉丸の元を
3年も通いつづけた話は有名だそうだ。
この大谷駅前には、蝉丸神社村社があり、この蝉丸神社は3つあるらしい。
この村社の他に上社と、この2社を管理している関社があるそうだ。

・奥の階段を上がると立派な建物があります!その建物の裏からは音羽山へ続く東海自然歩道がある!
1号線にかかる歩道橋に続いています!

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※ ※ 前半スローペースでなかなか進みませんが、ご容赦くださいませ!すいません・・・・


【1045】・京阪大谷駅を越えて、歩道橋を渡って1号線へ戻った!
狭い歩道を追分方面へ!

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・逢坂の関から追分方面へは下りです!途中で趣のある建物が現れた!
 大津算盤の祖:片岡 庄兵衛様についての石碑です!慶長17年(1612年)・・・・と書いてあった!

リンク  リンク  →  → << 大津算盤について>>

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・「月心寺」は日本の名水として広く知られたこの走井の水は、多くの詩歌や文学作品に登場し、
古くから有名でした。
かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁昌していた走井茶屋の跡。

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【1105】・1号線を下り名神高架下のカーブにさしかかって、側道へ。
交番のあるところの府道35へ進入!ここが旧東海道のルートです!

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【1111】・ここが重要ポイントの髭茶屋追分の道標があるところ!
右へは東海道(三条街道)の本ルート!左へは大津街道(伏見街道)
                           ・・・今回の旅は左の五十七次に続くルートへ!                  


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・これが道標です。「みきハ京ミち」「ひだりハふしミみち」と彫られていました!

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【1116】・髭茶屋追分から伏見方面へ進んで、途中で音羽山への
展望が開けたところがあった!

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【1118】・牛尾山道の道標を発見!ここから牛尾観音へ行けるのだ!
小山神無森町付近を順調に進行中!名神のトンネルが見えてきた!この先音羽病院方面へ進み
1号線を横断し35号を進んでいく!

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【1126】・山科の音羽病院が見えてきた!まっすぐ国道に出ずに
病院前を南に行き信号から1号線を横断する!

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【1134】・1号線をわたり、海鮮料理店 木や横の府道35号に再び進入し、
国道大塚へ向かい旧奈良街道へ!

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【1151】・国道大塚に到着!ここは府道35号(旧奈良街道)を直進(南下)します!

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【1155】・道標を発見!「みぎうじみち」もう片面は「ひだりおおつ?」だったかな?
旧奈良街道は狭く、写真を撮っている場合じゃない!(車にひかれます)!
そろそろランチタイムかな?と思って、ラーメンの「夜泣きや」に来た!この店の特徴をI氏(小)に話しすると
好みじゃないということでパス!実は、ここに来るまで、そば屋、ファミレス、牛丼・・・などたくさんパスして
なかなかI氏(小)のお目にかなわない(笑)!

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【1159】・お店は、繁盛中のご様子!狭く交通量の多い旧奈良街道を南大塚に来た!
大塚西浦町の宝迎寺を通過!次のランチ候補へ急ごう!

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【1212】・京阪バス山科(営)の車庫前を過ぎ、岩屋神社の鳥居近くの
楓林さんという、長崎ちゃんぽんのお店があります。I氏(小)はここが気になるらしい!

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・I氏(小)はすぐにお店に飛び込んだ!ここでランチです!(12:12~49)
本日のメニューは日替わりランチのカレーラーメンセット!「いただきまーす」(笑)

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【1252】・ランチのあと、旧奈良街道に戻って伏見を目指した!
旧奈良街道(35号)を南下し、名神の高架が見えてきた!手前の信号近くに大きなクスノキがあり
「大宅一里塚跡」の石碑があった!
この一里塚は『東海道宿村大概帳』(江戸末)にも、大宅の一里塚に榎が立っていることが記されているとのことです。
主要な街道の両側には、一里ごとに築かれていたが、道路の発達でほとんどが消滅している。
京都市内ではここでしか見ることが出来なくなってしまったようです。京都市史跡登録がされています。

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【1305】・名神の高架をくぐり、山科けいさつ近くのコンビニでデザートだ!
この信号は直進新奈良街道へ、右折れルートが旧道であり勧修寺方面へ!

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【1322】・ここから外環小野へ進んでいく!外環を横断し勧修寺へ!

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【1330】・山科川にかかる橋を渡って、どんつきの勧修寺へ!
南に進路を変更し、大岩街道に進入し深草方面へ進んでいく!

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【1334】・勧修寺下ノ茶屋町をまっすぐ西へ!

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【1357】・長い登りの大岩街道!勧修寺農園まで遠いですね!
深草ゴルフも過ぎ、登りきったところで小休止!I氏(小)は当然お昼寝タイム!

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【1432】・ピアノ専門学校を通過し、深草谷口町の交差点!
この先の銀平寿司の三差路を南に大亀谷方面へ入っていく!

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・JR藤森駅への交差点を西に墨染へ下っていく!京都教育大を通過!この先の藤森神社で休憩しよう!

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【1450】・藤森神社に着きました!良く頑張りました!
ここで小休止ですね!

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【1513】・藤の森神社を出発して、本町に出て、南へ。
墨染こ信号を西へ進み京阪の踏切に!ここが墨染(すみぞめ)駅!
ここから疎水にかかるすみぞめ橋を渡って150mくらい進むと「墨染(ぼくぜん)寺がある!
墨染寺(ぼくぜんじ)は874年創建のお寺で大変歴史は深く、豊臣秀吉により復興されたお寺だそうです!
墨染寺には、墨染という名がつく元となった墨染桜(すみぞめざくら)があり、平安時代の歌人の上野峯雄が
藤原基経の死を悲しみ、
「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け」と歌を詠んだところ、
桜の花が墨染色に染まったという伝説あるそうです。
現在墨染桜は3代目で、まだまだ若い木ですが、墨染色の立派な花を咲かせ、桜の花見シーズンはさくら祭が
開かれます。

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【1517】・墨染郵便局前を通り三上食料店の交差点で京町通りを南へ!
ここで府道35号に再び合流です!伏見税務署を通過!もうすぐ24号線の交差点です!

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・税務署の次の交差点右側(西側)に「撞木町廊入口」の門柱がある!このあたりは、江戸時代には、
賑やかな遊興街だったようで、赤穂浪士、大石内蔵助が吉良方の目をあざむくために遊興したことで
有名な遊廓があったそうです!

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【1524】・24号線の交差点に着いた!ここから24号線を横断し、
すぐに西に入って両替町通りに進んだ!

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【1531】・しばらく進み、ゲベッケン菓子店のある交差点の丹波橋通り
を西に進んだ!

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【1534】・丹波橋通を西へ進み、次の信号を南へ!
板橋小学校方面へ進む!

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【1541】・板橋小学校を過ぎ、次の交差点を西に進み、一つ目の交差点を
南に進む!板橋通りから御駕篭郵便局前の通り入って、ラストスパートです!

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【1544】・伏見区役所が現れた!酒蔵風の立派な建物ですね!
このあたりから伏見宿なのかな!

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【1545】・伏見区役所前の毛利橋通りを渡って、大手筋へ!
酒粕ラーメンの玄屋さんが現れた!ゴールはまもなく・・・!

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【1550】・本日のゴール! 大手筋に着きました!お疲れさまです!
けっこう長旅でしたが、楽しめました!

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【お気に入り】・伏見の酒 「油長」さん いいね!

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無事、大津宿から伏見宿まで4里8町(16.8km)頑張りました!実際の道のりは約20kmあったと思ってます!

今回の旅はこれで お・し ま・い です!


次回は淀宿を経て枚方までいけるかな?



ばいばい 














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